法律改正に期待するのではなく、大切な家族のために自分の意思を堂々と表示してほしい

いま、民法の相続分野の大幅な見直しが検討されています。遺産分割の選択肢として配偶者居住権を認める制度や、介護に一定の貢献があった相続人以外の親族に金銭請求権を認める制度の創設などが盛り込まれるようです。

なるほど、相続開始後に高齢の配偶者が家を出て行かなければならないケースがたびたび発生していた現状や、例えば長男の嫁などのように法定相続人には該当しないが故人の親族による介護に対し報いることができるという点では活用次第では有益となる場合もあるかのように感じられます。高齢化社会の進展や年々複雑化する遺産相続の現場の声に応える改正という点に鑑みれば、ぎりぎり一応の評価はできるといってもいいのかもしれません。

 

 

しかし、日々相続実務に携わっている法律専門職の端くれの目には、とても多くの疑問が残ってしまうのも事実です。仮に配偶者居住権が認められたとして、その期間はどれくらい認められることになるのでしょうか、固定資産税の未納や境界紛争、ご近所トラブルなどが発生した場合には誰がどのように対応するのでしょうか。また、そもそも介護に一定の貢献があったとはどのような場合を指すのでしょうか。さらに、介護に対する貢献をどのような基準で金銭請求権に換算するのでしょうか。確かに、傾聴に値する内容がないとまでは言いませんが、かえって新たな相続トラブルを引き起こすのではないか、その種があちこちに見え隠れしているような気がして心配でなりません。

思うに、夫婦や家族のかたちは多種多様であり、夫婦や家族の数だけかたちがあると言っても過言ではありません。自らがこの世を去った後も、配偶者の住む場所や生活資金に不安が生じるような事態は出来る限り避けたいと願う気持ちはよく理解できます。しかし、療養介護に貢献してくれた親族に対して少しでも労いの気持ちや感謝の意思を表わしたい。そんな気がかりや感謝の気持ちを、すべての人が持つとは限りません。そして、他人から見れば円満そのものに見える家族でも、複雑な事情や経緯を抱えている家族はたくさんあります。家族関係のすべてを法律で規定すればすべて解決できると考えること自体が、所詮は夢物語にすぎないのではないでしょうか。

人生は誰にとってもかけがえのないものであり、その主役は紛れもなく自分自身ではないかと私はいつも思っています。とすれば、自らがこの世を去るときに、(1)残された配偶者の住まいや生活資金に不安を除去し、(2)療養看護に努めてくれた人々の苦労に報い感謝の気持ちを伝えることは、あなたの心の奥底にある本心からすべきことであり、法で規定されているからするべきことではない、法で規定されなければできないのならばむしろしないほうがいい、と私は強く思うのです。

私は、8年前に神奈川・平塚駅前で開業して以来、一貫して大切な人に想いを伝える遺言書を書くことをお勧めしてまいりました。ご縁があってお会いした方には、法律に頼るのではなく自分自身の意思で大切な人を思いながら遺言書を書いていただくことをお伝えしてきました。弊事務所にご相談にお見えになった方には、私自身が42歳の時に書いた遺言書を必ずお見せしながら、どうすればあなたの想いや配慮が込められた遺言書ができるかを一緒に考えていくことを実践しています。

これからも私は、遺言者の想いと家族の願いが理解できる法律専門職として、ひとりでも多くの方に『想いを伝えるとともに大切な家族の絆を壊さないための遺言書』のご提案をし続けていきます。