名医自らが提言、そして実践した羨ましい人生の締めくくり方

先月18日のこと、100歳を超えてもなお医療の第一線で様々な提言や実践を重ねてこられた誰もがご存知の名医が逝去されれました。先生は生前ことあるごとに、『歳をとること自体が一歩ずつ未知の世界に踏み入れること。こんなに楽しいことはない』とおっしゃっていましたが、私はやりたいことをすべてやり切り生涯を医療の現場に捧げ切ったようにさえ感じました。高齢者支援の専門家の端くれとして、またひとりの人間として心よりご冥福をお祈りいたします。

 

それからのち、病院長の会見が開かれたのですが、先生はかなり早い段階から延命治療はもちろん過度の積極的治療も行わない意思をお持ちだったそうで、主治医や関係者の間でもきちんと共有、意思統一がなされていたことを明らかにされました。緩和医療や終末期医療についても様々な提言をされてきた先生だからこそ、自らに起こっていることを冷静に客観的に受け止めながら、望ましい人生の終わり方を模索し実践されていたのでしょう。

偉大な先生の影響も多分にあるのかもしれませんが、最近では、終末医療において自らがどのような医療を受けたいのかについて、少しずつではありますが関心を持つ方が増えているようです。一方で、著名な方が病院ではなく在宅で緩和医療を受けながら看取られたというお話が伝わると、都合のいい部分だけを切り取ったうえでご自分の人生に置き換えて過剰なまでに美談化し、叶うものとして信じて疑わない願望として膨らませてしまう方がいることに危惧感を抱いています。

ある報道によると、リビングウィル(書面による生前の意思表示)を実践しているかという質問に対して、書面を作成してきちんと準備をしていると答えた方は、わずか6パーセントほどしかいませんでした。そして、この6パーセントの方についてもどのような形で意思表示をしているかは明らかではなく、例えば日記や個人的な覚書などでなされている方も相当数含んでいると思われることから、私は実質的には終末期に対する生前の意思をきちんと表明している方は6パーセントよりももっと少なくなると考えています。

先生のように、自らの余命が極めて少なくなってきたときに自分自身の意思が尊重されるためには、きちんとした形式を持ちかつ医療者や関係者にも共有され、必要に応じて提示も可能な文書にしておく必要があります。そのためには、個人的な走り書きや覚書では到底無理であり、法的効力と医療・福祉の専門職のコンセンサス(合意)が盛り込まれた尊厳死宣言書を作成し、かつそれらを日常の中で主治医はもちろん関係者も含めて共有の積み重ねを続ける地道な作業をしてこそ、望ましい人生の終え方に近づくことができるのではないでしょうか。

もちろんですが、人にはそれぞれ望ましい人生の終え方がある、と私は思います。しかし、残念ですが心の中で思い秘めているだけでは自分自身の要望は叶うことはありません。私でよければ、あなたの隣を歩きながら、望ましい人生の終え方を一緒に考え続けていきたいと心から願っています。

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だからこそこれからも私は、この地域でもほとんどいない『医療・福祉の専門職とともに、人生の残り時間が少なくなった方を支える法律専門職』として、ひとりでも多くの方に元気なうちから『自分自身の人生の締めくくり方』を考えることの大切さと必要性をお伝えしていきます。